Author: GREGORY CLARK

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Russian Translations of Japan Times ArticlesРусский перевод Russia wants to be understoodAugust 19, 2015Россия хочет быть понятой Northern Territories dispute highlights flawed diplomacyMarch 24, 2005Спор о «северных территориях» выявляет изъяны в японской дипломатии Russian Translation by Andrey Fesyun  Row that demonized ChinaMonday, May 12, 2008 Ссора, демонизировавшая КитайRussian Translation by Andre Fesyun Japan sidelined

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China Watching

第2回日中関係セミナー 「私のChina Watching 50年」講演要旨 多摩大学名誉学長 グレゴリー・クラーク氏 2014年3月12日(水)18:30~20:30 TKPスター貸会議室四谷 *私は1956年にオックスフォード大学を卒業後、オーストラリア外務省に入った。同時期に加藤紘一氏が日本の外務省に入り、私と同じ道をたどった。彼は台湾に派遣され、中国を学んでいる。私は外務省に入省後、香港に行き中国語を学んだ。自分で選んだわけではないが、当時オーストラリア人はアジア、特に中国に関心がなく、中国語を学ぶ募集があったが、200人中ただ一人私だけが応募した。すぐ香港に派遣され、その時に台湾にもよく行った。ちょうど中国は大躍進の時期だった。中国の中を自分の目で見て回わり、ひどい餓死などは後でわかったが、農村で鉄を作る炉は小さくて全く意味のない代物で、それで鍋とかを作っていた。完全に狂っている感じだった。香港にいた時は中国人を尊敬していた。頭が良く、よく働き、香港フラワー等を一生懸命作っていた。大躍進の原因は毛沢東だった。私は62年にオーストラリア外務省に戻った。 *1962年インドと中国の国境紛争のとき、私は中国デスクにいたので、多くの情報と資料を持っていた。紛争の発端は明らかにインドの挑発によるものだった。国境に係わる対立が生じた当初、中国は妥協案を示したが、インドは妥協案を呑まず係争地の全てを欲しがり、マクマホンラインを越え中国チベット領域に進軍した。このことはアメリカ、イギリスが認めている。それに中国が反撃したことに対して、西側諸国は中国の侵略と決めつけた。西欧諸国は平気で嘘をつくことをその時初めて知った。西欧諸国が強い態度を取ったため中国が撤退したと報じられたが、あの時は明らかにインドが悪かった。当時オーストラリア外務省は日本と同じような稟議制を取っていて、私は中国の批判をやめるべきで、明らかにインドの方が悪かったと書いて上に回したが、上司は中国とインドが戦争することはオーストラリアの利益になると考えていた。オーストラリアと中国は国交関係がなく、大使館も置いていなかった。私が中国に行くことも拒否された。 *その後、フルシチョフの自由化の時代に2年間モスクワに駐在した。フルシチョフは冷戦を止めたかった。63年に中ソ論争が起こったが、同じ共産主義を標榜する国同士でなぜ起きたのか不思議でならなかった。同じ時期にベトナム戦争がエスカレートした。64年10月にフルシチョフが失脚して、ソ連は新しい体制(ブレジネフ第一書記、コスイギン首相)になったが、11月にオーストラリア外務省から、新しいソ連のリーダーに会いたいとの連絡があった。私は当時一等書記官だったが、オーストラリアのハズラック外務大臣と一緒にクレムリンに行き、コスイギン首相、グロムイコ外務大臣に面会した。ハズラックは「ミスターコスイギン、あなたの悩みは解っている。中国は侵略的で、あなた方の新疆を奪おうとしている。(新疆は中国領なのに、全く無知であった。)ベトナムでも中国は侵略的で、北ベトナムは中国の傀儡で、南進政策を取っていてオーストラリアの方向に侵攻してきている。だから、我々西欧諸国、オーストラリアはソ連と組んで中国の侵略を防止すべきだ。」と主張した。それに対し、グロムイコは「ソ連は勇気ある北ベトナムを高く評価し、できる限り援助したい。中国にはもっと北ベトナムを援助してほしい。」と返答した。オーストラリアに帰国してからの記者会見で、なぜソ連に行ったのですかとの質問に対して、新しいリーダーに挨拶に行ったとだけ答えた。これが西欧諸国の外交の汚いやり方であり、また知識がなかった。 あとで解ったことだが、ハズラックは自分の考えではなく、アメリカに頼まれてやったことだった。アメリカは中ソ論争の意味が解らなかった。ソ連は穏健派で、中国・毛沢東は過激派という感覚。だからベトナム問題でソ連と協力できるのではないかと考えた。この分析は明らかに間違いだった。 *私は「In Fear of China」という本を書くために中ソ論争を説明しなければならなかったので、徹底的に調べた。1957年ソ連は中国に核兵器開発を援助すると約束した。中国は共産圏にリーダーが必要と考え、それをソ連に求めた。58年台湾海峡危機が発生し、アメリカは台湾が負ける可能性ありと、核兵器使用を匂わせた。フルシチョフはアメリカと冷戦を止め、仲良くしたかったので、59年10月核兵器開発援助の約束を撤回したため、それに対して中国は激しく反発した。これが中ソ対立の真の原因で、西欧諸国の言う中国が侵略的というのは誤解だった。 *中国は大躍進の時期を終え、鄧小平、周恩来等穏健派の力が強くなり、合理的な国内政策を進めようとしていた。その中で66年に文化大革命が起きた。1968年に私は「In Fear of China」を書き、イデオロギーを使った権力闘争になる、鄧小平と4人組が闘うと予測し、その通りとなった。周恩来は中間にいたが、鄧小平は追放された。周恩来は4人組と戦うには西欧諸国とパイプを作らなければならないと考え、71年4月名古屋で行われた世界卓球選手権で、いわゆる“ピンポン外交”を展開した。アメリカを含めて、各国は中国への招待を受けて喜んだが、唯一行かなかった国はオーストラリアだった。その時、私はマードックの新聞社の東京特派員だった。私はベトナム戦争に反対し、65年に外務省を辞めて、大学院で日本経済を研究していた。1年間日本に行く機会があり、日本の3つの魅力(山と食べ物と、もう一つ?!)を感じ、東京で特派員になっていた。オーストラリアチームが中国に行かなかったのは、政府の反対があったからで、オーストラリアには根深い反中世論があった。私が北京に電報を送り、やっとオーストラリアチームが招待され、私もその時招待された。10年待っての初めての中国訪問であった。 次に中国に行ったのが73年で、政府のグループと一緒に有名な公園に行った時の案内役が、何んと鄧小平であった。この時期、中国はまだひどい状態で、工場は物を作るのではなく、イデオロギーを作る所であった。変電器の工場を見学したが、みんな一所懸命働いているのを見たが、実は単なる演技で、たまたま戻って見てみたら工場は空っぽだった。 *天安門事件はいわゆる英語で言う“Black Information”。アメリカ、イギリス、オーストラリアが協力してのウソの情報だった。ちょうどゴルバチョフが訪中していた時期で、長い間学生達を広場から追い出さなかった。ゴルバチョフが天安門に入れず、大変メンツを潰されてしまった。6週間も占拠し、広場にはトイレも作り汚くなっていたので、追い出すことを決め、初めは武器なしで兵隊を送った。これはアメリカ大使館の報告書にあり、インターネットでも閲覧できる。大衆は兵隊が広場に入り込むのを妨害したため、翌日には武器が必要となった。大衆が軍に対して、ガソリンボンベを使って攻撃し、バスが炎上した。中国の人は滅多にガソリンボンベを使うことはないので、悪党が渡したのではないか。兵隊はまだバスの中にいたので、沢山の人が死んだ。その時の写真も残っている。広場の中では虐殺はなかった。スペインのテレビ局(TVE)が一晩中待っていて、学生は3,000人残っていたが、何も起きなかった。以上は全てアメリカ大使館の報告に記載されている。あの有名な戦車の前に立つ学生の写真が世界中に配信されたが、戦車が広場から出て行く時の写真で、学生は安全だった。では、なぜ天安門事件の大虐殺が世界中に報道されたか?3日経って、サウスチャイナ・モーニング・ポストの一面トップ記事が出て、ニューヨークタイムズのトップ記事になり、全世界に天安門に大虐殺があったとの情報が定着した。実際は何もなかった。こういう風に欧米の世論は完全に大虐殺報道に支配されてしまった。 *次は微妙な話だが、尖閣列島問題に入りたい。1971年、アメリカは沖縄諸島を日本に返すつもりだった。沖縄諸島と尖閣を別々に考えていた。尖閣は沖縄諸島の西側で、地域領域に入っていない。台湾は43年のカイロ会議でアメリカに働きかけて、沖縄をアメリカと共同支配しようとした。49年内戦に敗れた台湾に沖縄を渡す筈はもちろんなかったが、台湾は尖閣についてアメリカに働きかけた。尖閣列島はイギリスが18世紀に発見して、「ペニクル・アイランド」と名付けた。中国では何百年前から釣魚島という名前があった。アメリカは沖縄は返すが、尖閣列島の所有権については何も言わなかった。 72年の周恩来・田中角栄会談で、尖閣列島については棚上げとし、田中も納得した。当時会談に同席した栗山条約課長も棚上げについて認めている。今になって日本政府は棚上げではないと言っている。平気で嘘をつき、今日の状況となった。中国は何度も棚上げの状態に戻したいと主張している。南シナ海でも紛争が起きているが、1952年の日華平和条約には、パラセル島とスプラトリー島を中国に返還するとはっきり書いている。その条約を書いたのはアメリカである。Black Informationは今でも平気で続いており、南シナ海でも中国の侵略と非難されており、そういった意味では中国はちょっと可哀そうだと思う。中国にも責任があり、中ソ論争とか文革で誤解されていることもある。私は中国の悩みや努力を充分理解もし、評価も期待もしている。 *日本と韓国の間が酷い状態になっている。新聞や本等で“バカな韓国人・・・”が平気で販売されている。韓国が中国寄りになって一番困るのはアメリカであり、東アジア外交が台無しとなってしまう。だから、水面下でそうならないように一生懸命努力している。 〈質疑応答〉 Q:天安門事件については訂正してほしい。報道された程ではないが、実際に虐殺はあった。人民日報では約300人が死亡したとの報道があり、共産党自身も認めている。 A:広場の周りでは、攻撃され一部の兵隊が暴走して民衆を攻撃したのは事実である。但し、広場の中では虐殺はなかった。コロンビア大学の報告では、虐殺報道をしたサウスチャイナ・モーニング・ポストの責任と明確に書いてあり、しかし、記事を書いた本人は行方不明となり、名前もわからない。 Q:安倍首相の戦後レジームの解体についてのお考えは? A:私が日本に来た時は本当に平和で、魅力的な国だった。NHKも素晴らしいドキュメンタリーを作り、以前の日本が悪いことをしたと認めていた。南京事件もさることながら、731は否定のできない事実であった。私の著書の「ユニークな日本人」は右翼、保守派に大変人気があった。保守派は、進歩派が優勢だったので長い間我慢をし、 今は完全に逆転している。その責任者の一人は櫻井よしこで、彼女はだんだん右寄りになり、講演会で人気となり、保守派が勢力を増した。NHKもだんだん右寄りになり残念だ。ひどいのは産経新聞だが、駅の売店なんかでは、読売新聞と同じようによく売れている。日経新聞も進歩的だったが、完全に右寄りとなった。 Q:アメリカが1971年に沖縄を日本に返した時の思惑は? ①尖閣の所有権について主張する権利がない②将来の紛争のタネにするため、わざと所有権を曖昧にした。のどちらと思うか? A:1943年のカイロ会談では、ルーズベルトは沖縄を中国(当時は国民党)に任せようとしたが、蒋介石はアメリカとの共同管理を提案した。終戦後台湾ロビーが積極的に動いたが、当時のアメリカは台湾ロビーを満足するために、所有権を曖昧にした。 Q:天安門で報道されているような虐殺がなかったなら、中国は堂々とそれを主張すれば良いのに、隠そうとしているのはなぜなのか? 尖閣列島を棚上げにするのは一つのアイデアと思うが、具体的にどうすればよいのか? A:石原慎太郎が手を出さなければ、また国有化をしなければ棚上げの状態はそのまま続いていた。鄧小平が言ったように、所有権は将来の問題として、次世代に共同領土とすればよい。具体的にどうすればよいかについては、日本人が性質を変えなければならないだろう。アメリカ局長の吉野文六氏が密約は存在すると発表した翌日に、安倍首相は国会答弁で密約は存在しないと平気で嘘をついた。建前と本音が違うというのは日本人独特の性質であり、中国も含めて外国人とは異なる。日本は本件についてはもっと大人らしく振舞うべきだ。日本では面白い現象があり、誰かが何かを発表してもマスコミはすぐあの人の真意は違う所にあるのだと書く。 Q:今の中国の指導者についてどう思うか? A:中国の新しいリーダーシップにかなり期待している。特に腐敗については。今の腐敗はどうしようもなく、必ず強い反発が出てくるだろう。今のリーダーシップはそれが解っていて、本格的に何かをやろうとしている。問題はバブルで、日本は固定資産税 で上手くコントロールしているが、中国では上海と重慶だけが固定資産税をかけている。一人っ子政策も早く止めるべきだったが、中国は案外暢気な所がある。 Q:日中国交正常化の時に、周恩来と田中角栄が棚上げに合意したというのは事実であり、当時の読売新聞の社説でも棚上げ支持と書かれていた。なぜ棚上げが文章として残らなかったか? A:文章としては残っていない。周恩来は言ったが、田中角栄ははっきり返事をしなかったという情報もある。田中方式で「よっしゃ、よっしゃ」でなかったか。そういった意味では棚上げが100%決まった訳ではない。78年に鄧小平は次の世代に任そうとはっきり言ったが、それに対して当時の園田外相はノーとは言わなかった。 Q:堤清二さんの大平正芳の生涯について書かれた「茜色の空」で、その際のやりとりが詳しく書かれている。ほぼ合意していたが、最後その部分が残り、大平が根回しして 周恩来と話をして、最終的に田中に言わせたということが詳しく書かれている。 A:当時親台湾派が自民党の中に沢山いたので、そういう人達を怒らせたくなかったので、はっきり文章にしなかったのではないかと私は思う。 Q:韓国が中国寄りになり、日本が孤立するというお話があったが、日中韓の関係を促進するために、若い人に何を期待しているか? A:田母神さんの講演会に行ったら、半分以上が若者だった。日本の若者は保守的で期待できない。韓国はbalance of powerがあるので、期待できる。若者による交流改善は、今の日本の状態だと無理。しかし、最近の韓国の動きを見て、多少展望が開けてきた。 アメリカもバックアップするでしょう。あのvery disappointedは大変意味がある。アメリカがバックアップしないと日本は中国と韓国に対抗できないでしょう。

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NBR

Recent NBR Contributions

Recent NBR Contributions(Posted January 2014) While Masahiro Yamamoto (below) sets us right about the Japanese delay in publication of the Iris Chang book ‘The Rape of Nanking,’ I often wonder why there is so little mention in Japan about the 1942 Singapore massacre. In many ways it is far more

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JT2012

Marching orders to the Japanese

Thursday, Dec. 13, 2012 READERS IN COUNCILMarching orders to the Japanese By GREGORY CLARKTokyo The Dec. 2 Timeout feature, “Japan’s whistle-blower supreme speaks out,” misses several points. Former Olympus Corp. chief Michael Woodford is not quite the hero the article portrays. Woodford was brought in to help a company in

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For the Record

For the RecordGetting it right at the time, and not later 1965 Vietnam: Australia and the Lost War in Vietnam.(Heading of my article published in the Australian, October 1965) 1967 Vietnam:And even if some countries (such as Vietnam) do go Communist, provided no outside intervention is involved there is no reason to believe

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KEIZAI KAI

市場原理主義を振りかざす教科書的な経済学者たち

Keizai Kai – November 19, 2002 経済界 天下の正論 巷の暴論  多くの倒産と資産価格の下落を招き、不良債権を増やすだけになる小泉改革の本質 日本の開場は供給過剰と裔要不足で、必要なのは需要重視型の経済改革だ 市場原理主義を振りかざす教科書的な経済学者たち 小泉首相の「構造改革」の第1ラウンドが終わっものの、いまだに景気は瀕死の状態だ。ところが今度は、この状態を打開ドがの状するには銀行の不良債権を処理するべきだと語がれるようになった。  だが銀行の不良債権は不景気の産物であって原因ではない。銀行の不良債権対策は、資産価格の低下に歯止めをしてこそ意味がある。しかし債務を支払えない者を追放し罰しようとする「改革」では、さらに多くの倒産と資産価格の下落を招き、不良債権を増やすだけだ。政府は今より小刻みに支出を行ってデフレの進行を防がねばならなくなをだろう。自分の尻尾を追い掛けている犬のように、日本の景気はぐるりと回って18 カ月前(編集部注・銀行の不良債権最終処理として政府・与党による緊急経済対策の発表が行われた)の状態に戻ることになる。  だが2流の共産国のように、すべての敗北は次なる勝利の布石として吹聴されるのである。日本政府は今度は自ら生み出した不良債権とデフレを克服すると誇らかに約束している。トンネルの出口はすぐそこまで来ており、一足出れば輝かしい未来が開けている。問題を最初から正しく理解して?いた者は、そんな輝かしい未来の到来を頑なに阻もうとする閤の勢力として退けられた。  こんなに独善的な間違いを犯しているのは、一体どういうわけだろう。  まず責められるべきは首相である。首相は国債の発行を増やさないという考えに凝り固まっている。確かに700兆円という国と地方を合わせた借金は空恐ろしい数字である。だが1400兆円という日本の膨大な個人金融資産と比べると、これくらい支出しなければ日本の需給格差は今よりはるかに大きかっただろう。  もちろん政府の支出を賄うために税金に頼っていたほうが良かったには違いない。だがこれは2次的な問題である。国債発行額が多過ぎるというなら、なぜ人々はこんなに低い金利でもまだ一国債を買おうとするのか。  首相の経済アドバイザーの罪も大きい。彼らの多くは経験がなく、慶応や一橋大学の右翼的派閥出身の、市場原理主義を振りかぎす教科書的な経済学者たちである。かつて彼らはIT革命が日本の景気の救世主であると固く信じていた。今では1980年代にアメリカやイギリスの経済を救ったといわれる、レーガンやサッチャーの」巾場志向的改革を信奉している。 われわれは日本に見切りをつけて中国語を勉強したほうがいい  これらの改革(民営化、自由化、予算削減)がアメリカやイギリスのその後の景気回復に重要な役割を果たしたかどうかは議論の分かれるところだ。特に予算は削減されなかったのだから、なおさらである。私は労働組合が弱体化しアジアなどから安い輸入品や海外のファンドが入って来たお陰で、インフレや国際収支の問題が緩和されたことのほうが重要なのではないかと思う。だがこれらの改革が完璧に遂行されていたとしても、それを日本に当てはめるにはやはり無理がある。  米・英の改革は、過剰な需要に応えるために、品物やサービスの供給を自由化し、効率を高めることが狙いだった。つまり、供給重視型の経済学である。日本の問題は供給過剰と需要不足で、それとは正反対である。これには需要重視型の経済学が必要だ。  韓国の早期回復の鍵は銀行改革だったと指摘する者もいる。しかし韓出凶の最近の経済回復においても、強力な消費者の需要によるところがはるかに大きいのである。  さまぎまな理由(多くは文化的理由)により日本にはその需要がない。大規模な規制緩和を行えば縮小した民間消費は増えるかもしれない。だが恐らく最終的には、政府が需要不足を補えるようにするための税制改革も必要になるだろう。一方、市場志向型の専門家たちは民間需要拡大のため減税を促しているが、減税分の多くは余剰預金に回るだけだということをほとんど理解していない。  現在アメリカ政府は竹中大臣を大っぴらに支持している。同氏は日本の市場粛理主義者の急進派とも言うべき人物で、このたび銀行を監督する金融担当大臣にも任命された。ニュースによるとアメリカは、日本の不景気で中国がアジアの経済を牛耳るようになるのではないかと懸念しているそうだ。  アメリカ政府が竹中大臣の政策で日本の景気が回復すると考えているのなら、本当にもう我々は日本に見切りをつけて中国語を勉強したほうがいいのかもしれない。

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KEIZAI KAI

大人らしく理性均な選択したフランスの世論

Keizai Kai – October 22, 2002 57-経済界 天下の正論 巷の暴論 原発は日本にとって必要なものだが、今、ガ吋れを告げるときかもしれない  政府は東京電力を非難しているが、  日本ハムと同様、誰も責任を取っていない  大人らしく理性均な選択したフランスの世論   東京電力が何年も隠蔽しようとしてきた原子力発電 所のトラブルは、それ自体はさど危険なものではないかもしれない。だ がこのトラブル隠しは、日本の原子力発電の議論に壊滅的な影響を与えることになるだろう。   私はここ数年、日本のいくつかの原子力 エネルギー委員会で委員を務めてきた。私 は最初から、日本の原子力産業全体が火薬 庫の上に鎮座しているようなものだ、と警 告してきた。日本の組織は、自らの繁栄と隼き残りだけを求める排他的社会であるから、間違いやトラブルは隠蔽しなければならなかった。だが、他の産業ならさほど問題にならないかもしれないこの体質が、原子力産業にとっては自滅へのシナリオとなった。  いつかはどこかで重大な隠蔽が明るあに出る。そうすれば、日本の原子力発電を黙認している世論の徹妙なバランスが崩れてしまうだろうことは、明らかだったのだ。  フランスの世論は原子力発電のメリットとリスクに向き合ったとき、大人らしく理性的な選択をしたが、日本はフランスとは適う。日本は不安定で感情的で、むしろわれわれアングロサクソンやそのほかの北欧社会に近い。これらの社会はほかにも日本と類似点が多く、そこでは反原発運動が大勢を占めている。  日本の進歩派もそれと同じ感情的な方向へと動きつつある。今日まで、日本の原子力産業は、まあまあ大丈夫だからとなだめすかしていれば、頭の古い国民の了解を何とか取り付けて来られると思っていた。だが、イギリス、ドイツなどと同様、活動家や市民の運動が、そんな受身的な合意に異議を唱えるようになるのは避けられない展開だったのだ。  そうなったからといって、フランス式のインフォームドコンセントに急に飛び付くわけにはいかない。国民を教育し大人とし   て扱うためには、すべて   前もって准丁備しておかな   ければならない。原子力産業は、トラブルに対しては何垂もの予防措置を講じると、くどいほど確約する必要があるのである。  だが、ここ数年私が出席しているいくつかの原子力エネルギー委員会の報告書には、不断の警戒と安全性をうたった退屈で甘ったるい保証しか見当たらない。私は、原発には確かにリスクはあるが、業界はそれを最小限に抑えるためあらゆる手立てを早くしているという文言を入れようとしたが、その努力は実らなかった。 原発は必要という私のアイデアを無視してきた政府・官庁  私はまた、業界に対する政府の管理とチェックがどれほど不十分なものかを論じようとした。検査はおぎなりで不十分である。これでは検査官は簡単にごまかされてしまうと。  実問題の所在を知っているのは、実際に業界の深部で働いている人たちだけだ。彼らに自由に喋る機会を与えなければならない。業界内の内部告発を推奨することである。たとえ幹部によって告発者が押さえつけられるリスクがあるとしても、それが第一歩なのだ。理想を言うと、業界は内部告発の内容を受け取り、それを調査する公平な第三者のオンブズマンを設置すべきである。  このオンプズマンについての私のアイデアはさっぱり受け入れられなかった。内部告発者にはその勇気に報いるべきだという私の提案も、さして評価されなかった。  原子力装置のひび割れに対する東京電力の怠慢を公表しようとする人が実際に現れたが、彼はその訴えを聞いてもらうのに、業界を監督する経済産業省まで持って行かなければならなかった。そこまでしても、会社のあらゆる妨害により、彼の訴えが日の目を見るまでに1年余りも待たねばならなかつた。  私は先に安全管理を評価する委員会で、重大な落ち度が明らかになった場合は、安全性を担当する政府高官が進んで辞任すべきだと提案していた。そうすることでしか、安全性に対して政府が真剣に取り組んでいると国民に納得してもらうことはできないからである。だがこのアイデアも相手にされなかった。  この度のトラブル隠しで、政府の人々はここぞとばかりに東京電力を非難し、経営幹部を辞任に追い込んだ。だが日本ハムの隠蔽事件同様、政府側では誰も責任を取っていない。  日本は今、あれほど努力を払ってつくり上げた原発産業に、別れを告げるときなのかもしれない。原発は日本にとって本当に必要なものであるにもかかわらず。しかし、すべては自らが、そして官僚が招いた結宋なのである

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KEIZAI KAI

本物の難民が1割しか認められていない現実

Keizai Kai – August 27, 2002 経済界142 天下の正論 巷の暴論 日本は外国人労働者に対する規串叫を緩和し、経済などあらゆるメリットを享受しろ  犯罪を企てる不法入国者 阻止こそ重大な岡題 本物の難民が1割しか認められていない現実 5月8日に起きた瀋陽の日本総領事館の事件を受けて、法務省は難民政策検討委員会を設置した。筆者もそのメンバーであるが、そこでの議論を見ていると、あまり期待が持てそうにない。  日本の正式なアプローチを批判しようというのではない。ほとんどの国と違い、難民に関する国連条約および議定書への調印国 として、日本は今なお正しい手続きを踏まねばならないと考えている。よって日本にいる外国人は誰でも(たとえ偽造パスポート所持やその他の違反で捕まったとしても)原則的には、開き直って難民であると申し立てさえすれば、自動的に正式な法の手続きを受ける権利を得られるようになっている。  この手続きというのが実に丁重なもので、難民申請者にはその立場が合法的なものであることを示す文書が与えられ、それによって外国人登録証を受け取ることができる。この外国人登録証は多くの国内不法滞在者にとって貴重なものだ。これさえ手に入れば、難民申請者は好きなところに自由に住み、旅行し、仕事もできる。  彼らが本物の難民かどうかを判断するため、時折面接の呼び出し状が届く。だがそのうち3分の1は呼び出しを無視して姿を消してしまう。呼び出しに応じる者でも、難民認定を下す前の面接を、優に1年以上も先延ばしすることができる。  難民認定が認められない場合、申請者はさらに数年間に及ぶ訴訟を開始することができる。しかし大半は他国へ行ってしまう。難民として逃れて来たはずの母国へ帰って行く者さえいるのだ。  難民申請者のうち、本物の難民として申請が認められるのは約1割にすぎないことについて批評家はとやかく言うが、このような背景を考えると認定率が1割と低いのも当然である。また批評家は、日本が負担している膨大な費用についても考えてみるべきである。特に、資料をさまぎまな言語に翻訳して出したり、面接のために常に適切な通訳を見つけたりしなければならないことをだ。それも、大多数はそもそも本物の難民ではないというのにである。  同じ資金を費やすなら、犯罪を企てる不法入国者を入れないように努力するほうが、よほど日本のために役立つのではないだろうか。  日本に批判されるべき点があるとすれば、それは海外の難民キャンプにいる本物の難民を受け入れようとしないことであろう。日本は国内にいる者からの申請しか受け付けないとしている。そもそも、「難民とは何か」という定義を考えて偽れば、難民申請をしようとはるばる日本までやって来られる人々が、本物の難民であることはほとんどないというのにである。 まじめな不法労働者を連行し倒産工場が出ていいのか  難民申請者の多くは、外国でより良い生活をしたいと考えている経済難民だ。よって不法入国者として入団を拒絶されるケースがほとんどだが、その送還もまた問題となる。一方、きちんとした移民が安定的に日本へ入って来れば、日本には経済、文化、人口などいろいろな点でメリットがあることも明らかである。1994年に私は九州の森林地帯を訪れたが、そこは深刻な人手不足に悩んでいた。だが同じころ、そこからそう離れていない福岡県では、適法入国した数十人の元気な中国青年たちを国外退去させるために警察が一斉検挙を行い、マスコミもそれに拍手を送っているところだった。  入国管理当局は東京都北部の金属工場から多数の不法労働者を連行し、本国へ強制送還している。たとえそれで倒産する工場が出ようと、全くおかまいなしだ。  ひとつの解決法としては、日本が外国人労働者に対する規制を緩和し、不法な経済難民に対しても、合法的に日本への入団を求める人々と概ね同じ基準を適用することである。決定は迅速つ変更不可とする。移民基準に当てはまる者は国内滞在が許可され、当てはまらない者は(必要ならカづくでも)退去させる。  これで本物の難民が不法な経済難民と誤認されたりしたら、それは酷かもしれない。だが国連が難民の窮状にぞれほど心を砕いているのなら、国連にもいささかの負担はあってしかるべきである。国連は世界中に難民キャンプを持っているのだから、認定を拒否された難民は、それらのキャンプのどこかひとつに送り届けてもらえるというオプションがあってもよいだろう。 グレゴリー・クラーク プロフィール/1936年イギリス生まれ。オックスフォード大学修士課程修了。オーストラリア外務省、「ジ・オーストラリアン」紙東京支局長などを経て、79 年上智大学教授。95年多摩大学学長。現在、多摩大学名誉学長。

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NAIGAI JOSEI

日本経済は重症の血液循環病患者

Naigaijosei March 12, 2002  グレゴリー・ クラーク 多摩大学名誉学長  日本の経済論争を開いていると、重症の血液循環病患者の治療を任された未熟な医者が思い浮かぶ。患者には絶えざる輸血が必要だ。患者は足にひどいむくみもきている。  ところが医者はまず、輸血しても元の病気が治らないから輸血は中止すべきだと宣言。患者が昏睡状態に陥って床に転げ落ちたので、医者はむくんだ足を即刻切断しなければならないと命令。病人は軋もなく死んでしまった。  日本経済はこの患者によく似ている。日本経済の基本的な問題点は、消費者の非常に高い貯蓄性向による慢性的な需要不足である。  1970年以前では、この貯蓄は良いものだった。需要はベーシックであり、迅速に満たされた。循環は好調だった。だがそれ以後日本では、さまざまな理由から、ライフスタイル需要、例えば-セカンドハウス、セカンドカー、高級バカンスなど、他の先進国需要を支えているものへの切り替えが行われなかった。日本の″血液循環″は危険なまでに低位になつた。  日本は20年間も、輸出超過と株・土地ブームからくる″輸血″スタイルの需要に頼って問題を回避してきた。その結果が円高であり、バブル崩壊だった。とはいえ、90年代初期しばらくは、赤字財政という形の輸血のおかげで、不良債権という名の足のむくみは、急速に解消しっつあった。  ところが97年、橋本というドクターは輸血用″血液″が底を突くから輸血は中止すべきだと言った。 患者はすぐ意識不明になり、足はまたむくみ始めた。  小渕、森両ドクターによる、公共支出の増加という″輸血″ のおかげで、患者は一時的には回復した。しかし小泉という、もう一人、輸血に反対するドクターが″構造改茎丁″という多種の栄養ドリンクで問題解決だ、と宣言。経済が再び昏睡状態に陥ったとき、竹中という初心な若医者が呼ばれ、むくんだ足を即刻切断しなければならないという。  患者が死ぬ前に、この経済を救うために、二つのアクションが緊急に必要だろう。一つ、血液循環を蘇生させるためのショック療法として10兆円以上の補正予算。二つ、新しい消費者需要を促がす大幅な規制凄和だ。

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KEIZAI KAI

日本経済再生の唯一の手段はケインズ的財政出動への切り替え

2002.2.19経済界170 天下の正論 巷の暴論 経済失政を繰り返してきた日本。小泉純一郎首相に任せていては手遅れになる。 景気回復を妨げる個人金融資産1400兆円の過剰貯蓄性向 小泉純一郎首相が進める構造改革が日本経済を救ってくれるという最近の一連の論調は、クリント・イーストウッドの西部劇の再放送を見ている浅はかな男の話に似ている。イーストウッドは全速力で断崖に向かって馬を駆っている。男は友人に、「あの馬も乗り手も絶対に転落しないことに賭けると言う。友人は「転落する」と一言う。だが、結局人馬共に転げ落ちてしまう。友人はこの映画を以前に見たことがあり、結末を知っていたので、「金はもらえない」と言う。「僕も前に見たことがあるよ」と話す男に対して、「どうして『落ちない』に賭けるなんて言ったんだい」と友人が尋ねると、男はこう答えた。「だってイーストウッドはとても頭がいいから、2回も同じ間違いをするわけがないと思ったのさ」 96年、当時の首相・橋本龍太郎氏は歳出を削減し、改革を断行して経済を立て直すと誓った。ところが、立ち直る兆しの見えていた景気の回復は失速し、経済は不況のどん底へと向かって急激な落ち込みを見せた。そこに新政権が発足し、歳出の拡大を約束したために辛うじて救われたのである。 今日、われわれは全く同じ筋書きが繰り返されているのを目の当たりにしている。今回、その職にあるのは小泉氏だ。99年の緩やかな景気回復は息の根を止められ、日本経済は再びどん底状態にある。 日本の一番大きな問題は慢性的な消費需要の欠如であり、政府による歳出削減は今必要なこととは全く正反対の措置である。日本の政治家はいつになったらこの大事なことを理解できるのだろう。日本のように強い経済大国でも、老若男女合わせて1400兆円が個人の金融資産としているような状況では、経済がうまく機能するはずがない。 かつて日本は、輸出の拡大や、不良債権を増やす元になった土地価格の暴騰などにより、国内の需要不足を切り抜けることができた。しかし、これらはみな、円高の進行とバブルの崩壊によってあっけなく終焉を迎えた。ケインジアンの唱える政府支出の拡大による国内需要の拡大こそ、今、求められる唯一の解決策である。長期的かつ合理的な改革によって、消費者支出刺激のためのインセンティブも必要である。 こと経済に関する限り、日本人はなぜいつも間違った方向に舵を切るのだろうか。一つは、大局を見ずして細部にこだわる文化的傾向があるからだろう。メディアは小泉首相の民営化計画について隅々まで厳しく目を光らせているため、国内だけではなく諸外国までが、構造改革を進めれば日本は立ち直るという気になっている。一方、日本の経済問題の背後にある重要な原因、すなわちこれほど過剰な貯蓄を引き起こした要因を真剣に考える者はほとんどいない。 日本経済が抱える問題点は供給過剰と需要不足のジレンマ  日本経済がいとも簡単に間違った方向へ行ってしまうもう一つの理由は、戦後長い間、大学で独断的なマルクス経済学の理論が幅を利かせていたことがある。現在その大きな反動が、主に慶応大学や一橋大学を中心とした新世代の経済学者たちに表れている。彼らは80年代にアメリカやイギリスが取った、右寄りの放任主義的サプライサイド政策を、欧米の経済学者たちも驚くほど深く信奉している。過剰供給と需要不足という日本経済が直面している問題は、かつて多くの欧米諸国が直面した問題とは正反対であることが、これらの人々の未熟な頭には思い浮かばないようだ。 小泉首相の経済顧問を務める慶応の経済学者たちが中心となって作成した今回の経済白書では、一方で需要問題があることを認めているものの、時代遅れのケインズ経済学による解決法など役に立たないと主張し、経済効率を高める改革を求める内容となっている。日本の一流経済紙である日本経済新聞は、需要不足が問題なのであれば、経済効率を高めて供給を増やしても何の解決法にもならないと皮肉っている。 日本経済新聞がその立場を変えたことは、興味深い。かつて同紙は、先頭に立って、ケインズ的政策は役に立たないと唱えていた。私自身、同紙とは長い付き合いがあったが、5年前に過剰な貯蓄が経済の悪化を招いていることが分かっていないと公に批判したところ、その関係は絶たれてしまった。 小泉首相の側近の中には、今年の政策で結果を生み出すことができなければ、景気について何らかの手を打ち始めるだろうと言う者もいる。しかし、そのときには、日本経済はもう既に手遅れの状態になっているかもしれない。 グレゴリー・クラークプロフィール/1936年イギリス生まれ。オックスフォード大学修士課程修了。オーストラリア外務省、「ジ・オーストラリアン」紙東京支局長などを経て、79年上智大学教授。95年多摩大学学長。現在、多摩大学名誉学長。

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「テロ」という青葉の隠された意味を知らない日本人

テロリストと呼んだ男と交渉する米国  先月、ニューヨークとワシントンで自爆攻撃があったことから、日本でも最近、「テロ」という言葉をよく耳にするようになった。しかし、日本人はその言葉の本当の意味を知っているのだろうか。 英語のテロという言葉は、正確に用いた場合、極めて限定された意味合いしか持たない。それはただ単に今の社会が気に食わない政治的・宗教的な狂信者が、無差別の破壊的活動を行い人々を殺戮することである。オウム真理教による地下鉄サリン事件は、このケースに当てはまる。また政府が人々を抑圧する目的で無差別に武力行使する場合にも用いられる。この場合、スターリンが該当しよう。 しかし、ある人々が自分たちは何らかの不正を被っており、その不正は武力行使によってのみ正すことができると考えている場合、この人たちを「テロリスト」とは言わない。彼らは「反抗分子」や「革命家」「ゲリラ」と呼ばれるべきである。このような武力行使の例は、北アイルランドやバスク地方、チェチェン、クルド地方、スリランカ、カシミール、そのほか数多くのもっと小さな地域に至るまで、広範囲に存在する。 もちろん、これらの人々と対立する政府は、不正を終わらせるために彼らが武力を行使することなど認めない。従って、必然的に政府は彼らをテロリスト呼ばわりすることになるが、こうした政府の言い分をそのまま受け入れるのはよほどの世間知らずだけだろう。 どんな対立にも当事者のどちら側にも正しい点と間違った点があり、間違いの多くは権力者側にあることはたいてい誰でも知っている。チェチェンに対するロシア政府の野蛮な振る舞いはその好例だ。テロと戦っているというモスクワの言い分を受け入れるような愚か者はいないことに、ほとんどの人が同意するだろう。 もう一つの例は、北アイルランドである。この地のカトリックの人々が長い間ひどい不正に苦しめられてきたことは、多くの人が認めるところである。しかし、彼らは少数であるがゆえに不正を民主的に正す方法を持たなかった。彼らの実力行使を英国政府が抑圧したために、さらに武力行使に訴える悪循環が始まった。 英国政府はこの人々をテロリストと呼び、彼らを壊滅させる必要があり、決して交渉はしないと主張していた。しかし、反抗分子が自分たちの大義のために進んで苦しみを受け入れ、暴力に出る姿勢を見せたために、英国政府も問題解決には相手との交渉が必要だと認めるに至った。今日ではかつてのテロリストが、北アイルランド政府の閣僚として正式に受け入れられている。不思議なことだが、これらの人々は正統な理由があって戦っているのであり、英国政府は解決のために話し合うべきだと最初に正しく指摘したのは、米国政府であった。 イスラエルと米国は、かつてアラファトとPLOをテロリストと呼び、交渉などあり得ないとの立場を貫いていた。今日、両国は少なくとも、アラファトを正式に受け入れ、話し合いの必要があることを認めている。アフガニスタンには、米国が今、テロリストと呼んでいる人々がいるが、ソ連を攻撃していたころ彼らは「自由の戦士」と呼ばれていた。このような例は枚挙に暇がない。 時代や状況によって言葉の使い方が変化することは、タミールの反抗分子やゲリラがスリランカ政府の船を攻撃したという、九月十四日のロイター電に見て取れる。そのニュースでは、スリランカ政府がテロリストの攻撃を撃退したと発表したことも報じられている。 面白いことに、その翌日、両者の争いを終わらせるために、数十万人が話し合いを求めるデモを行ったというニュースが報じられた。このデモのきっかけは、三カ月前にゲリラ勢力がコロンボ空港での武力攻撃に成功したことだった。スリランカ政府がこの攻撃をテロリズムとして激しく非難したことは言うまでもない。 テロリズムは政府側の都合のいい言葉  中東の「都会ゲリラ」によるこの度の米航空機乗っ取りや建物への攻撃はテロリズムとして、果てしない非難を浴びせられている。しかし、これらの攻撃を行った者たちは、野獣のような目をした年若い狂信者たちではない。多くは教育も技術も身に付けた分別ある大人たちである。家族を持つ者もいた。 彼らが自分の命を進んで捧げようとする大義とは、中東の人々は過去四十年間にわたる米国の中東政策の過ちに対して怒りを表す権利があるということである。ごく少数の物の分かった米国人も含めて、多くの人々がこの見解を支持している。特に国連で繰り返し圧倒的多数で非難が浴びせられているイスラエルの政策について、国連決議に反しているにもかかわらず、米国が一方的に肩入れすることに多くの人々が反対している。 テロリズムという言葉が軽蔑を含んで用いられるようになったのは、つい最近のことである。一九七〇年代以前の東西対立の時代、西側陣営では共産主義者とかゲリラという言葉を使ってさえいれば、敵との戦いについて多くの支持を得ることができた。テロという言葉を使うことで、米国や西洋諸国は、中東諸国の複雑な争いの本質や、時には妥協してでも解決する必要があることを曖昧にすることが可能になった。非西洋国である日本が、深く考えもせずにこれら西側諸国と足並みをそろえているのは誠に残念なことである。

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日本を読む、いま日本に何が必要か

グレゴリー・クラーク(多摩大学学長アジア経済研究所開発スクール学長)  近い将来、交詢社の仲間に  皆さん、こんにちは。きょう、お招きいただきまして本当にありがとうございました。遅れて参りました理由は、タクシーの問題なんです。 タクシーに乗って、運転手さん、日本橋はどこですかと。やっぱりリストラのタクシーの運転手。日本の経済、まだだめなんだ。しかし、竹橋に入ってひどい渋滞、バブル時代と等しい渋滞だった。経済は動き始めているのではないか。しかしタクシーを下りて、間違って三越に入って、お客様がほとんどいなくて、やっぱりだめだ。ところがこの部屋に入って、みんな元気にやっている。やっぱり、シニアのほうで経済は元気なんです。因みに、私、明日、六十五歳になります。交詢社のメンバーの平均年齢は六十八と言われて、近い将来仲間に入れてくださいというお願いで参りました。(拍手)  交狗社とはいろいろご縁があります。初めは、隣に座っていらっしゃる石川理事長。慶應大学の関係で、私の息子は二人とも慶應大学だったんです。無事卒業して、一人は、三菱商事に。もう一人、弟のほうはドイツ銀行に入って、非常に悲惨な話ですけど、弟の給料は兄よりも倍ぐらい高いんです(笑)。これから日本の経済はどうなるか、ちょっと心配です。  私の前に座っている野村英一さんは、前は朝日新聞におられまして、二十四年ぶりの出会いです。私が初めて日本に来ましたときに、テーマは日本の経済の研究、対外直接投資でした。だんだんわかってきました。日本の経済活動を理解しょうと思えば日本人のメンタリティを理解しなくてはいけないです。その前はオーストラリア外務省の中で中国担当だったんです。私は中国人と日本人は同じではないかと思っていたんですけれども、同じではないですね。大分違っている。それで、サイマルの村松さんに頼まれて、日本に関して自分の印象等を書いてくださいといわれました。その本を出してすぐ、野村さんが取材にいらしてくださいまして、本当に光栄と思っていたんです。私のあまり内容に価値のない 本に対して関心を示してくれて、非常にいい長い記事を書いていただきました。  それで東先生も、私の父のこともよく知っている。父は経済学者です。コリン・クラーク。第一次産業、第二次産業、第三次産業の分類をつくりまして、皆様の世代の日本人はよく父の名前を存じておられるらしいのですけれども、本当に嬉しいことだと思います。私も経済学をやりたかったんですけど、大学へ入って十六歳。父に厳しく言われてしまったんです。おカネを稼いでいない男は経済学を勉強すべきではないと。結果は、別の学部で、外務省に入って外交官になりましたけれども、後で大学院に戻って経済学を本格的に勉強するようになったんです。そういう関係で日本に参りました。もちろん、相変わらず日本の文化とか、特にほかのアジア、中国人とか韓国人との比較に非常に関心、興味を持っ ていますけれども、本業を申し上げれば経済です。  経済の根本的な問題 - 経済学ではなくて文化で説明  どうして日本の経済はそんなにだめになったのか。みんな“小泉効果”に期待していますけれども、長く続くかどうか。日本人は新しいものが好きなんです。けれど、すぐ興味離散になってしまうんです。  この前面白いテレビ番組があったんです。インスタントラーメンのブランドネームは平均寿命三カ月だけです。総理大臣は大体一年です。それで新しいブランドを出さなくてはならない。そういう意味では森さん、ちょっと可哀相だと思っていたんです。あの人はそんなに悪い総理大臣ではないと思っていたんですけど、マスコミと喧嘩になって、日本の社会はマスコミは非常に影響が強いんです。そしてムードに影響されやすい民族です。それで反森ムードになって、結果は辞めなくてはならなかった。小泉さんは「改革」という言葉をよく使っていますけれども、最初の改革は経済ではなくて外交だったんです。森さんは本当に改革だったんです。北方領土問題で二島返還。これは素晴らしい進歩だと思ったん です。二島返還、あとの二島はあとで議論しましょう。当然のことだと思ったんですけど、小泉さんは、昔の四島返還に戻りたいんです。これは進歩ではなくて後退ではないかと思っています。  しかし経済になると、問題は銀行の不良債権ではないです。もっと根本的な冷え込みです。一時的に貸し渋りがあったんです。今は貸したいんですけれども、借りたい人がいないんです。なぜ借りないか。みんな悲観的になっちゃった。それは理由があるんです。経済の根本的な問題は経済学ではなくて文化で説明すべ きなんです。慢性的に個人の需要が足りない経済です。  経済の発展は簡単なものです。初めは基本的な需要。自動車、冷蔵庫、クーラー、自転車が欲しいんです。日本は例外なくそういう時代があって、いわゆる高度成長時代。企業がおカネを借りて、投資をして、そういうものをつくれば必ず売れるんです。  けれど、先進国になると、基本的な需要ではなくてライフスタイル需要。自動車一台ではなくて、二台、三台。セカンドハウス、ヨット、電車はグリーン車とか、もっと贅沢に暮らしたいんです。日本はその需要がないんです。アメリカはあります。特にアングロサクソン社会。日本人は消費という意味ではケチケチではなくて、必要があれば派手におカネを使っているでしょう。ゴルフ、二万とか三万。銀座のママさん、二十万、三十万。結婚式、六百万。けれどもちがうのは、自分のアイデンティティはどこにあるかです。外国人と違って、日本人のアイデンティティは職場なんです。いい職場に入るためにおカネを使っています。私の大学、その恩恵を受けております。 ありがとうございます。あと自分の努力です。  外国人のアイデンティティは階級  我々外国人は違うんです。アイデンティティは階級。職場は二次的、三次的です。階級を決めるのに、どのぐらいおカネを使っているか。だからアメリカ人は大きな家に住まなければなりません。これは生活空間ではなくてステータスシンボル。地位の象徴。私の家はあなたの家よりも大きい。私があなたより偉い。そ ういう大きな家を建てて、きれいな家具とか絨毯とか電化製品。きれいな奥さんも入れなくてはならないです。奥さんもステータスシンボルです。アメリカの政治家たち、演説をすると必ず奥さんを連れてくる、見せるでしょう。美人であろうが、なかろうが、自分は浮気だらけであっても見せなくてはならない。日本は 全くそういう必要はないです。自分の家とか家族はプライベートのものです。  また夏休み。私は日本の銀行のために宣伝するつもりはないですけど、外資系銀行と絶対取引きしないでください。だって、夏の間は、七月の初めからもう連中はいないんです。秘書に、いつ戻りますかと聞いたら、八月の終わり。国に戻ってあるいは長い旅行をして、日本に帰ってくると、私に対して威張っちゃうんです。二カ月バカンスをとって家族と一緒に国に戻って、あとフランスとか、 スペインとか旅行した。クラークは? 房総半島に二週間だけ。自分はクラークより偉い (笑)。  日本人は逆でしょう。あなたは二週間休み、私は三日だけ。私のほうが偉い。結果は勤務時間が長くて貯蓄率が高いです。貯蓄率ですぐわかるんです。世界で一番元気にやっている経済はアメリカでしょう。一番貯蓄率が低いのはアメリカです。ゼロです。普通は四%です。次は、イギリス、オーストラリア、ニュージ ランド。経済はボロボロです。にも関わらず元気にやっております。理由は貯蓄率が低いです。六%。おカネが手に入るとすぐ使っているんです。ヨーロッパはもともと一〇%。日本は一三、一四%です。これは経済の大きな足枷なんです。  日本経済は少子化と経済アンバランスが問題  私、ケインズ経済学です。ケンブリッジ生まれだから、ケインズ (笑)。父もケインズ派です。経済をリードするのは需要です。デマンドがないと動かないんです。経済学者はどうしてわかっていないんですか。企業の経営者はわかっています。私、唐津一さん好きなんですけれども、新しい技術によると日本の経済は元気になるという。でもいいものをつくっても人が買ってくれないと意味はないです。結局輸出しなくてはいけない。  七〇年代に入って日本の経済は危ない状態だったんです。ところが二回神風に救われたんです。石油ショック。それで円安になった。結果は、内需は弱いけど外需に頼っていたんです。しかし八〇年代の後半になって、また危なくなって、円高でしょう。プラザ・アコード。それで変な形で内需拡大になったんです。あのバブル経済です。  これから別の形で、どうするか。人の価値観を変えるのは、文化を変えるのは簡単ではないでしょう。日本人はアメリカのようにやりたくなければ仕方がないです。謙遜の日本人を尊敬しています。しかし、おカネを使わないと経済は元気にならない。みんな高齢化の問題を心配しています。けれども私は高齢化大歓迎 です。問題は少子化です。これが需要に対して悪い影響を与えるんです。かえって高齢者はおカネを使っているでしょう。天国に入る前におカネを使わないと。新幹線に乗るとわかるんです。バブルのときはグリーン車は半分ヤクザと政治家だったでしょう。今は高齢者です。ある程度おカネを使っていますけれども、しかし、それだけで十分ではないです。  もう一つの問題があります。経済アンバランス。製造業は強いんです。日本人はもともとモノづくり文化です。二百年前のイギリスと同じです。実際に日本にいればいるほど、だんだんとわかってきました。福沢諭吉は正解だったんです。日本はアジアの国ではないです。日本は北ヨーロッパの国なんです。アジア、つまり中国、インドとか、韓国は古い文明なんです。大陸の文化です。大陸の文化はすごく合理主義が強いんです。イデオロギーが強いんです。だって、いつも戦争やっているんです。  日本の文化は簡単に説明できます。よくいわれるのが島国文化。日本人に言わせれば、単一民族と。でも日本人は単一民族ではないです。方言が多いんです。この間久し振りに東北へ行きました。行く前、かなり日本語に自信を持っていたんですけれども、二、三日の滞在で自信は全くなくなりました(笑)。あっちは日本語じゃないですね。地方の文化も様々ですよ。東北、保守的。北海道 は完全に開かれている。東日本、西日本、関東、関西。関西だけで三つの文化があります。大阪、神戸、京都。バラエティに富んでいる民族です。顔つきもばらばらでしょう。アイヌ系、モンゴル系、ポリネシア系。しかし、グループに入ると自然に協力する。これは日本人の面白い特徴です。北海道から来ても、九州から来ても構わない。仏教であってもキリスト教であっても構わないです。自然に協力する。そういう意味で単一的なんです。ただ、これは結果なんです。なぜこういうふうにできるのか。我々、外国人はできません。  中根千枝先生の話ですが、日本人のアイデンティティは場所、職場とか学校。外国人は資格。宗教とか職業とか。しかし、階級。これが一番。さっきの話ですが、我々外国人の、特にアングロサクソン、イギリス人の階級意識。これはもうちょっと覚悟すべきです。非常に深いんです。人に会うときは、すぐ観察する。小さな訛、服装の着方とかで何階級であるとかわかるんです。  しかし、昔は北ヨーロッパ人は日本と同じ島国文化だったんです。大陸の端だったんです。大陸の民族は戦争が起きていたからだんだんと合理主義で理論武装しましたけど、島国だったら昔の家族的な村的な文化を保存できるんです。保存して、洗練して、ルールを付け加えて、結果は家族とか村だけではなくて、企業とか、学校とか、さらに国まで、同じ価値観の上で出来上がったんです。そういう意味で日本人は非常に一貫性のある民族です。  私の家族は全く日本と同じです。私の家族は徹底的な集団主義です。四人組。その中で法律とか、イデオロギーとか、全然使わないでしょう。全部話し合い。人間関係も臨機応変。四人だけ、四つの文化が入っています。男、女、大人、子供。にも関わらずみんな自然に協力しています。運命共同体。毎日談合やっています。損失補填をやっています。それであの小さいグループの経営は日本の企業と全く同じです。私も、家族の中で終身雇用制でしょう。転職できない。年功序列。もちろん能力主義は絶対使わない。社内訓練。二十年全部ただ。中途採用全然やっていないです。それで日本の企業と同じように生き残り精神が強い。苦しくなっても倒産しない。ほかの家族とも合併もしない。そういう意味で日本人を説明する必要ないです。  変わっているのは、あなたたちではなくて、我々外国人です。特に古い文明。中国、インド、アラブ、南ヨーロッパ。イデオロギーとかそういうものにこだわっています。けれど、北ヨーロッパは日本と同じように長い間村社会、封建社会です。北ヨーロッパも、特に昔のイギリスは、島国です。モノづくり文化だったんです。だから、産業革命はイギリスであったんです。最近は変わりました。モノづくりよりも、だんだんと中国人やインド人と同じように、頭脳で、自分の才能でおカネを儲けたいんです。だから金融産業とか、とか、そういう次元で強くなったんです。結果は製造業が弱っちゃったんです。しかし、昔のイギリスは日本と同じです。モノづくりだけではなくて共同体意識も強かったんです。日本はサムライ文化。イギリスは紳士道、日本は武士道。似ている点が多いんです。イギリスは今でも憲法ないです。とにかくイギリスはそういう文化があって強くなった。今、第二の産業革命は日本なんです。モノづくり文化、素晴らしいんですけど、結果としてサービス産業が弱いんです。日本はサービス産業がもちょっとよくなればいいと思います。  経済構造の変化で新しい需要が出る?  例えば、レジャー産業、ほとんどないです。あるとすれば物真似です。ディズニーランド。これはアメリカの会社でしょう。これが成功して、それでみんなロシア村とか、オランダ村とか、テーマパークばっかりなんです。ほかのレジャーはないです。一般の労働階級、一般の人たちにとってレジャーは何?。パチンコだけですよ。だから三十兆産業になったんです。外国だったら、会員権ではなくて、誰でも入っていいスポーツクラブとか、旅行すると、高級ホテルではなくてモーテルとか、キャンプ場とか。きょうはそういう細かい話をするつもりはないですけれども、経済構造の変化でいろいろと新しい需要が出てくるかもしれませんけれども、長い間ライフスタイルの問題は残るんです。日本で余っているおカネ、金融資産一千三百兆円でしょう。国がこれを動員して有効に使うべきではないかと思っています。けれど、その話はすごく最近は不人気なんです。  しかし、内閣の中でこのことをわかっているのは平沼さんです。今回の経済改革は成功するはずはないです。橋本さんと同じなんです。緊縮財政。弱い会社、早く倒産させる。〃痛み″ でいいとか。それで経済はどうなったか。あの九六年は、多分今と同じなんですけど、買換え需要が出て経済は回復する軌道に乗り始めた段階でポンとなっちゃった。本当に残念でした。もう一回同じ間違いを起こせばどうなるか。  竹中平蔵さん、時々やっています。“構造改革”ばっかりなんです。皆さんご覧になりますか、フジテレビの日曜日の朝の番組。最近はずいぶんよくなりました。竹村さんも少し静かになって (笑)。竹中さん、出ましたでしょう。それで問題は、構造改革、規制緩和をやれば、新しい雇用をつくらなくてはならないということです。そうしたら、はい、やりますよ、とリストがあったんです。そのリストのトップだったのは、ベビーシッター産業の規制緩和です。これで新しい雇用が出る? ベビーシッターですよ。ビルを建てている元気なおじさんたちが失業者になってベビーシッターになれますか。新しい規制緩和、大歓迎ですけど、新しい雇用をつくるのは簡単ではないです。時間がかかるのではないか。そういう意味では、残念なことなんですけど、経済に対してちょっと悲観的にならざるを得ないです。  目の前で変化が起こり姶めた外交問題  同じように外交問題。北方領土問題だけではなくて、皆さんの目の前に変化が起こり始めたんです。中国はどんどん伸びているでしょう。中国は高度成長時代の日本と全く同じなんです。国内市場を適当に保護して、基本需要、冷蔵庫、自動車。どんどん伸びている。昨日の日経がいってたのと同じように、日本はあの 国と競争するのは無理です。賃金は日本の二十五分の一です。繊維産業のタオル問題があったとき、繊維産業の企業のギャップがテレビに出た。そのとき十七対一だと思ったんですけど、日経によると二十五対一です。中国人は日本人と同じぐらい勤勉でしょう。おカネも十分でしょう。外国人がどんどん投資している。あとは技術。日本の企業から、華僑から、自由に入っているでしょう。結果は工場の中の条件、ほとんど日本と同じです。賃金コストが日本の二十五分の一だったら、あの国とどうやって競争しますか。きょうはタオルとか、ネギとか、ユニクロ。あしたは自転車。あさっては自動車。アメリカはもちろん中国と喧嘩やりたいんです。自分の防衛産業の繁栄のためにやっていますけれども、日本はあの喧嘩に巻き込まれるべきかどうか、 ちょっと……。 一昨日、北京で外務省のスポークスマンが教科書問題で発言していました。これから中国と韓国は歩調を合わせて日本に対して適当に措置をとる。恐いですよ。韓国がそれに応じるかどうかということはあるけど、もともと韓国人は文化とかメンタリティは中国的です。日本的ではないです。あの二つの国が反日連盟、反 米連盟になれば、日本の外交は袋どまりになってしまう。  教科書問題、正直言って私も保守派です。あの戦争は非常に複雑なものだったんです。太平洋戦争、やっぱり日本は仕方がなかったんです。我々欧米人は長い間アジアでいろいろやっていて、どんどん日本に圧力をかけて、メンバー軍もやっていて、日本はある程度反発するのは仕方がなかったんです。確かに中国でちょっとやり過ぎだったんです。それはもうちょっと認めるべきです。ただ韓国とか、台湾を自分の植民地にしようと思ったとしても、それはある程度防衛的な部分があったんです。認めています。当時の白人、スピリアリティコンプレックスが強かったんです。実際、一九一九年ヴェルサイユ会議で日本は平等発言を求めたんです。民族はみんな平等である。それに一番反対したのはオーストラリア、私の国だったんです。当時日本人は白人に対して反感を持つのは当然です。それであの戦争に敗けたのは、ある程度悔しいです。  日本は戦術はうまいが戦略は弱い

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QUADRANT

MORE LESSONS FROM MUNICH

Quadrant – April 1999 SIR: Garry Woodard’s piece about Australia’s role in the 1938 Munich affair is interesting (January~February 1999). But why the assumption that Chamberlain’s concessions at Munich, and Canberraís involvement in those concessions, were a disaster for the West? Seen from other directions, the conventional view of Munich

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1975

Asked about 1975, the last convulsive year of the Whitlam regime, the late Robert Haupt is reported to have said: “Don’t ask me, I was there.” I know what he means; I was there too. My 1975 began on a dry, hot Canberra afternoon in December 1974, straight off a

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Letter to the Editor

Nation Review March 3-9, 1977 It is no accident we get to see Australian papers fairly rarely up here in Japan, so you can imagine my surprise on opening a travel worn back number of Nation Review and finding friend Mungo delivering a swift karate chop in my direction for

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A CHOICE OF PROTECTIONISMS

Quadrant – October 1996 SIR: Lloyd Peasley (September 1996) points out the costs to Australian consumers from tariff protectionism. But the choice is not between tariff protectionism and no protectionism. In Australia’s case, it has to be between tariff/subsidy protectionism and exchange rate protectionism. The latter has imposed far greater

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Multiculturally Bemused in Tokyo

The Quadrant – July-August, 1996 So Bill HAYDEN sees a shameful contrast between Australia’s multicultural openness and Japan’s racial exclusivism. I could ask him when Australia will ever have a governor-general, prime minister, or foreign minister who can speak any Asian language, or any other difficult language for that matter,

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Children

“At the time I felt as if I was playing God-shifting children at will between two very different cultures” To the non-Japanese parent of young children in Japan, probably the biggest challenge is that of balancing cultures in their children’s education. Both of my children were born in Japan, and

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BOOK REVIEWS

Tradition versus Modernity in Japanese Enterprise Management Human Capitalism: The Japanese Enterprise System as World Model

By Robert Ozaki. Tokyo: Kodansha International, 1991 228pages. $19.95 Reviewed by Gregory Clark Is it possible there could be two people called Robert Ozaki? One is clearly the author of the book ‘Human Capitalism: The Japanese Enterprise System as World Model.’ In it, Ozaki, professor of economics at California State

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