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「テロ」という青葉の隠された意味を知らない日本人

テロリストと呼んだ男と交渉する米国  先月、ニューヨークとワシントンで自爆攻撃があったことから、日本でも最近、「テロ」という言葉をよく耳にするようになった。しかし、日本人はその言葉の本当の意味を知っているのだろうか。 英語のテロという言葉は、正確に用いた場合、極めて限定された意味合いしか持たない。それはただ単に今の社会が気に食わない政治的・宗教的な狂信者が、無差別の破壊的活動を行い人々を殺戮することである。オウム真理教による地下鉄サリン事件は、このケースに当てはまる。また政府が人々を抑圧する目的で無差別に武力行使する場合にも用いられる。この場合、スターリンが該当しよう。 しかし、ある人々が自分たちは何らかの不正を被っており、その不正は武力行使によってのみ正すことができると考えている場合、この人たちを「テロリスト」とは言わない。彼らは「反抗分子」や「革命家」「ゲリラ」と呼ばれるべきである。このような武力行使の例は、北アイルランドやバスク地方、チェチェン、クルド地方、スリランカ、カシミール、そのほか数多くのもっと小さな地域に至るまで、広範囲に存在する。 もちろん、これらの人々と対立する政府は、不正を終わらせるために彼らが武力を行使することなど認めない。従って、必然的に政府は彼らをテロリスト呼ばわりすることになるが、こうした政府の言い分をそのまま受け入れるのはよほどの世間知らずだけだろう。 どんな対立にも当事者のどちら側にも正しい点と間違った点があり、間違いの多くは権力者側にあることはたいてい誰でも知っている。チェチェンに対するロシア政府の野蛮な振る舞いはその好例だ。テロと戦っているというモスクワの言い分を受け入れるような愚か者はいないことに、ほとんどの人が同意するだろう。 もう一つの例は、北アイルランドである。この地のカトリックの人々が長い間ひどい不正に苦しめられてきたことは、多くの人が認めるところである。しかし、彼らは少数であるがゆえに不正を民主的に正す方法を持たなかった。彼らの実力行使を英国政府が抑圧したために、さらに武力行使に訴える悪循環が始まった。 英国政府はこの人々をテロリストと呼び、彼らを壊滅させる必要があり、決して交渉はしないと主張していた。しかし、反抗分子が自分たちの大義のために進んで苦しみを受け入れ、暴力に出る姿勢を見せたために、英国政府も問題解決には相手との交渉が必要だと認めるに至った。今日ではかつてのテロリストが、北アイルランド政府の閣僚として正式に受け入れられている。不思議なことだが、これらの人々は正統な理由があって戦っているのであり、英国政府は解決のために話し合うべきだと最初に正しく指摘したのは、米国政府であった。 イスラエルと米国は、かつてアラファトとPLOをテロリストと呼び、交渉などあり得ないとの立場を貫いていた。今日、両国は少なくとも、アラファトを正式に受け入れ、話し合いの必要があることを認めている。アフガニスタンには、米国が今、テロリストと呼んでいる人々がいるが、ソ連を攻撃していたころ彼らは「自由の戦士」と呼ばれていた。このような例は枚挙に暇がない。 時代や状況によって言葉の使い方が変化することは、タミールの反抗分子やゲリラがスリランカ政府の船を攻撃したという、九月十四日のロイター電に見て取れる。そのニュースでは、スリランカ政府がテロリストの攻撃を撃退したと発表したことも報じられている。 面白いことに、その翌日、両者の争いを終わらせるために、数十万人が話し合いを求めるデモを行ったというニュースが報じられた。このデモのきっかけは、三カ月前にゲリラ勢力がコロンボ空港での武力攻撃に成功したことだった。スリランカ政府がこの攻撃をテロリズムとして激しく非難したことは言うまでもない。 テロリズムは政府側の都合のいい言葉  中東の「都会ゲリラ」によるこの度の米航空機乗っ取りや建物への攻撃はテロリズムとして、果てしない非難を浴びせられている。しかし、これらの攻撃を行った者たちは、野獣のような目をした年若い狂信者たちではない。多くは教育も技術も身に付けた分別ある大人たちである。家族を持つ者もいた。 彼らが自分の命を進んで捧げようとする大義とは、中東の人々は過去四十年間にわたる米国の中東政策の過ちに対して怒りを表す権利があるということである。ごく少数の物の分かった米国人も含めて、多くの人々がこの見解を支持している。特に国連で繰り返し圧倒的多数で非難が浴びせられているイスラエルの政策について、国連決議に反しているにもかかわらず、米国が一方的に肩入れすることに多くの人々が反対している。 テロリズムという言葉が軽蔑を含んで用いられるようになったのは、つい最近のことである。一九七〇年代以前の東西対立の時代、西側陣営では共産主義者とかゲリラという言葉を使ってさえいれば、敵との戦いについて多くの支持を得ることができた。テロという言葉を使うことで、米国や西洋諸国は、中東諸国の複雑な争いの本質や、時には妥協してでも解決する必要があることを曖昧にすることが可能になった。非西洋国である日本が、深く考えもせずにこれら西側諸国と足並みをそろえているのは誠に残念なことである。

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日本を読む、いま日本に何が必要か

グレゴリー・クラーク(多摩大学学長アジア経済研究所開発スクール学長)  近い将来、交詢社の仲間に  皆さん、こんにちは。きょう、お招きいただきまして本当にありがとうございました。遅れて参りました理由は、タクシーの問題なんです。 タクシーに乗って、運転手さん、日本橋はどこですかと。やっぱりリストラのタクシーの運転手。日本の経済、まだだめなんだ。しかし、竹橋に入ってひどい渋滞、バブル時代と等しい渋滞だった。経済は動き始めているのではないか。しかしタクシーを下りて、間違って三越に入って、お客様がほとんどいなくて、やっぱりだめだ。ところがこの部屋に入って、みんな元気にやっている。やっぱり、シニアのほうで経済は元気なんです。因みに、私、明日、六十五歳になります。交詢社のメンバーの平均年齢は六十八と言われて、近い将来仲間に入れてくださいというお願いで参りました。(拍手)  交狗社とはいろいろご縁があります。初めは、隣に座っていらっしゃる石川理事長。慶應大学の関係で、私の息子は二人とも慶應大学だったんです。無事卒業して、一人は、三菱商事に。もう一人、弟のほうはドイツ銀行に入って、非常に悲惨な話ですけど、弟の給料は兄よりも倍ぐらい高いんです(笑)。これから日本の経済はどうなるか、ちょっと心配です。  私の前に座っている野村英一さんは、前は朝日新聞におられまして、二十四年ぶりの出会いです。私が初めて日本に来ましたときに、テーマは日本の経済の研究、対外直接投資でした。だんだんわかってきました。日本の経済活動を理解しょうと思えば日本人のメンタリティを理解しなくてはいけないです。その前はオーストラリア外務省の中で中国担当だったんです。私は中国人と日本人は同じではないかと思っていたんですけれども、同じではないですね。大分違っている。それで、サイマルの村松さんに頼まれて、日本に関して自分の印象等を書いてくださいといわれました。その本を出してすぐ、野村さんが取材にいらしてくださいまして、本当に光栄と思っていたんです。私のあまり内容に価値のない 本に対して関心を示してくれて、非常にいい長い記事を書いていただきました。  それで東先生も、私の父のこともよく知っている。父は経済学者です。コリン・クラーク。第一次産業、第二次産業、第三次産業の分類をつくりまして、皆様の世代の日本人はよく父の名前を存じておられるらしいのですけれども、本当に嬉しいことだと思います。私も経済学をやりたかったんですけど、大学へ入って十六歳。父に厳しく言われてしまったんです。おカネを稼いでいない男は経済学を勉強すべきではないと。結果は、別の学部で、外務省に入って外交官になりましたけれども、後で大学院に戻って経済学を本格的に勉強するようになったんです。そういう関係で日本に参りました。もちろん、相変わらず日本の文化とか、特にほかのアジア、中国人とか韓国人との比較に非常に関心、興味を持っ ていますけれども、本業を申し上げれば経済です。  経済の根本的な問題 - 経済学ではなくて文化で説明  どうして日本の経済はそんなにだめになったのか。みんな“小泉効果”に期待していますけれども、長く続くかどうか。日本人は新しいものが好きなんです。けれど、すぐ興味離散になってしまうんです。  この前面白いテレビ番組があったんです。インスタントラーメンのブランドネームは平均寿命三カ月だけです。総理大臣は大体一年です。それで新しいブランドを出さなくてはならない。そういう意味では森さん、ちょっと可哀相だと思っていたんです。あの人はそんなに悪い総理大臣ではないと思っていたんですけど、マスコミと喧嘩になって、日本の社会はマスコミは非常に影響が強いんです。そしてムードに影響されやすい民族です。それで反森ムードになって、結果は辞めなくてはならなかった。小泉さんは「改革」という言葉をよく使っていますけれども、最初の改革は経済ではなくて外交だったんです。森さんは本当に改革だったんです。北方領土問題で二島返還。これは素晴らしい進歩だと思ったん です。二島返還、あとの二島はあとで議論しましょう。当然のことだと思ったんですけど、小泉さんは、昔の四島返還に戻りたいんです。これは進歩ではなくて後退ではないかと思っています。  しかし経済になると、問題は銀行の不良債権ではないです。もっと根本的な冷え込みです。一時的に貸し渋りがあったんです。今は貸したいんですけれども、借りたい人がいないんです。なぜ借りないか。みんな悲観的になっちゃった。それは理由があるんです。経済の根本的な問題は経済学ではなくて文化で説明すべ きなんです。慢性的に個人の需要が足りない経済です。  経済の発展は簡単なものです。初めは基本的な需要。自動車、冷蔵庫、クーラー、自転車が欲しいんです。日本は例外なくそういう時代があって、いわゆる高度成長時代。企業がおカネを借りて、投資をして、そういうものをつくれば必ず売れるんです。  けれど、先進国になると、基本的な需要ではなくてライフスタイル需要。自動車一台ではなくて、二台、三台。セカンドハウス、ヨット、電車はグリーン車とか、もっと贅沢に暮らしたいんです。日本はその需要がないんです。アメリカはあります。特にアングロサクソン社会。日本人は消費という意味ではケチケチではなくて、必要があれば派手におカネを使っているでしょう。ゴルフ、二万とか三万。銀座のママさん、二十万、三十万。結婚式、六百万。けれどもちがうのは、自分のアイデンティティはどこにあるかです。外国人と違って、日本人のアイデンティティは職場なんです。いい職場に入るためにおカネを使っています。私の大学、その恩恵を受けております。 ありがとうございます。あと自分の努力です。  外国人のアイデンティティは階級  我々外国人は違うんです。アイデンティティは階級。職場は二次的、三次的です。階級を決めるのに、どのぐらいおカネを使っているか。だからアメリカ人は大きな家に住まなければなりません。これは生活空間ではなくてステータスシンボル。地位の象徴。私の家はあなたの家よりも大きい。私があなたより偉い。そ ういう大きな家を建てて、きれいな家具とか絨毯とか電化製品。きれいな奥さんも入れなくてはならないです。奥さんもステータスシンボルです。アメリカの政治家たち、演説をすると必ず奥さんを連れてくる、見せるでしょう。美人であろうが、なかろうが、自分は浮気だらけであっても見せなくてはならない。日本は 全くそういう必要はないです。自分の家とか家族はプライベートのものです。  また夏休み。私は日本の銀行のために宣伝するつもりはないですけど、外資系銀行と絶対取引きしないでください。だって、夏の間は、七月の初めからもう連中はいないんです。秘書に、いつ戻りますかと聞いたら、八月の終わり。国に戻ってあるいは長い旅行をして、日本に帰ってくると、私に対して威張っちゃうんです。二カ月バカンスをとって家族と一緒に国に戻って、あとフランスとか、 スペインとか旅行した。クラークは? 房総半島に二週間だけ。自分はクラークより偉い (笑)。  日本人は逆でしょう。あなたは二週間休み、私は三日だけ。私のほうが偉い。結果は勤務時間が長くて貯蓄率が高いです。貯蓄率ですぐわかるんです。世界で一番元気にやっている経済はアメリカでしょう。一番貯蓄率が低いのはアメリカです。ゼロです。普通は四%です。次は、イギリス、オーストラリア、ニュージ ランド。経済はボロボロです。にも関わらず元気にやっております。理由は貯蓄率が低いです。六%。おカネが手に入るとすぐ使っているんです。ヨーロッパはもともと一〇%。日本は一三、一四%です。これは経済の大きな足枷なんです。  日本経済は少子化と経済アンバランスが問題  私、ケインズ経済学です。ケンブリッジ生まれだから、ケインズ (笑)。父もケインズ派です。経済をリードするのは需要です。デマンドがないと動かないんです。経済学者はどうしてわかっていないんですか。企業の経営者はわかっています。私、唐津一さん好きなんですけれども、新しい技術によると日本の経済は元気になるという。でもいいものをつくっても人が買ってくれないと意味はないです。結局輸出しなくてはいけない。  七〇年代に入って日本の経済は危ない状態だったんです。ところが二回神風に救われたんです。石油ショック。それで円安になった。結果は、内需は弱いけど外需に頼っていたんです。しかし八〇年代の後半になって、また危なくなって、円高でしょう。プラザ・アコード。それで変な形で内需拡大になったんです。あのバブル経済です。  これから別の形で、どうするか。人の価値観を変えるのは、文化を変えるのは簡単ではないでしょう。日本人はアメリカのようにやりたくなければ仕方がないです。謙遜の日本人を尊敬しています。しかし、おカネを使わないと経済は元気にならない。みんな高齢化の問題を心配しています。けれども私は高齢化大歓迎 です。問題は少子化です。これが需要に対して悪い影響を与えるんです。かえって高齢者はおカネを使っているでしょう。天国に入る前におカネを使わないと。新幹線に乗るとわかるんです。バブルのときはグリーン車は半分ヤクザと政治家だったでしょう。今は高齢者です。ある程度おカネを使っていますけれども、しかし、それだけで十分ではないです。  もう一つの問題があります。経済アンバランス。製造業は強いんです。日本人はもともとモノづくり文化です。二百年前のイギリスと同じです。実際に日本にいればいるほど、だんだんとわかってきました。福沢諭吉は正解だったんです。日本はアジアの国ではないです。日本は北ヨーロッパの国なんです。アジア、つまり中国、インドとか、韓国は古い文明なんです。大陸の文化です。大陸の文化はすごく合理主義が強いんです。イデオロギーが強いんです。だって、いつも戦争やっているんです。  日本の文化は簡単に説明できます。よくいわれるのが島国文化。日本人に言わせれば、単一民族と。でも日本人は単一民族ではないです。方言が多いんです。この間久し振りに東北へ行きました。行く前、かなり日本語に自信を持っていたんですけれども、二、三日の滞在で自信は全くなくなりました(笑)。あっちは日本語じゃないですね。地方の文化も様々ですよ。東北、保守的。北海道 は完全に開かれている。東日本、西日本、関東、関西。関西だけで三つの文化があります。大阪、神戸、京都。バラエティに富んでいる民族です。顔つきもばらばらでしょう。アイヌ系、モンゴル系、ポリネシア系。しかし、グループに入ると自然に協力する。これは日本人の面白い特徴です。北海道から来ても、九州から来ても構わない。仏教であってもキリスト教であっても構わないです。自然に協力する。そういう意味で単一的なんです。ただ、これは結果なんです。なぜこういうふうにできるのか。我々、外国人はできません。  中根千枝先生の話ですが、日本人のアイデンティティは場所、職場とか学校。外国人は資格。宗教とか職業とか。しかし、階級。これが一番。さっきの話ですが、我々外国人の、特にアングロサクソン、イギリス人の階級意識。これはもうちょっと覚悟すべきです。非常に深いんです。人に会うときは、すぐ観察する。小さな訛、服装の着方とかで何階級であるとかわかるんです。  しかし、昔は北ヨーロッパ人は日本と同じ島国文化だったんです。大陸の端だったんです。大陸の民族は戦争が起きていたからだんだんと合理主義で理論武装しましたけど、島国だったら昔の家族的な村的な文化を保存できるんです。保存して、洗練して、ルールを付け加えて、結果は家族とか村だけではなくて、企業とか、学校とか、さらに国まで、同じ価値観の上で出来上がったんです。そういう意味で日本人は非常に一貫性のある民族です。  私の家族は全く日本と同じです。私の家族は徹底的な集団主義です。四人組。その中で法律とか、イデオロギーとか、全然使わないでしょう。全部話し合い。人間関係も臨機応変。四人だけ、四つの文化が入っています。男、女、大人、子供。にも関わらずみんな自然に協力しています。運命共同体。毎日談合やっています。損失補填をやっています。それであの小さいグループの経営は日本の企業と全く同じです。私も、家族の中で終身雇用制でしょう。転職できない。年功序列。もちろん能力主義は絶対使わない。社内訓練。二十年全部ただ。中途採用全然やっていないです。それで日本の企業と同じように生き残り精神が強い。苦しくなっても倒産しない。ほかの家族とも合併もしない。そういう意味で日本人を説明する必要ないです。  変わっているのは、あなたたちではなくて、我々外国人です。特に古い文明。中国、インド、アラブ、南ヨーロッパ。イデオロギーとかそういうものにこだわっています。けれど、北ヨーロッパは日本と同じように長い間村社会、封建社会です。北ヨーロッパも、特に昔のイギリスは、島国です。モノづくり文化だったんです。だから、産業革命はイギリスであったんです。最近は変わりました。モノづくりよりも、だんだんと中国人やインド人と同じように、頭脳で、自分の才能でおカネを儲けたいんです。だから金融産業とか、とか、そういう次元で強くなったんです。結果は製造業が弱っちゃったんです。しかし、昔のイギリスは日本と同じです。モノづくりだけではなくて共同体意識も強かったんです。日本はサムライ文化。イギリスは紳士道、日本は武士道。似ている点が多いんです。イギリスは今でも憲法ないです。とにかくイギリスはそういう文化があって強くなった。今、第二の産業革命は日本なんです。モノづくり文化、素晴らしいんですけど、結果としてサービス産業が弱いんです。日本はサービス産業がもちょっとよくなればいいと思います。  経済構造の変化で新しい需要が出る?  例えば、レジャー産業、ほとんどないです。あるとすれば物真似です。ディズニーランド。これはアメリカの会社でしょう。これが成功して、それでみんなロシア村とか、オランダ村とか、テーマパークばっかりなんです。ほかのレジャーはないです。一般の労働階級、一般の人たちにとってレジャーは何?。パチンコだけですよ。だから三十兆産業になったんです。外国だったら、会員権ではなくて、誰でも入っていいスポーツクラブとか、旅行すると、高級ホテルではなくてモーテルとか、キャンプ場とか。きょうはそういう細かい話をするつもりはないですけれども、経済構造の変化でいろいろと新しい需要が出てくるかもしれませんけれども、長い間ライフスタイルの問題は残るんです。日本で余っているおカネ、金融資産一千三百兆円でしょう。国がこれを動員して有効に使うべきではないかと思っています。けれど、その話はすごく最近は不人気なんです。  しかし、内閣の中でこのことをわかっているのは平沼さんです。今回の経済改革は成功するはずはないです。橋本さんと同じなんです。緊縮財政。弱い会社、早く倒産させる。〃痛み″ でいいとか。それで経済はどうなったか。あの九六年は、多分今と同じなんですけど、買換え需要が出て経済は回復する軌道に乗り始めた段階でポンとなっちゃった。本当に残念でした。もう一回同じ間違いを起こせばどうなるか。  竹中平蔵さん、時々やっています。“構造改革”ばっかりなんです。皆さんご覧になりますか、フジテレビの日曜日の朝の番組。最近はずいぶんよくなりました。竹村さんも少し静かになって (笑)。竹中さん、出ましたでしょう。それで問題は、構造改革、規制緩和をやれば、新しい雇用をつくらなくてはならないということです。そうしたら、はい、やりますよ、とリストがあったんです。そのリストのトップだったのは、ベビーシッター産業の規制緩和です。これで新しい雇用が出る? ベビーシッターですよ。ビルを建てている元気なおじさんたちが失業者になってベビーシッターになれますか。新しい規制緩和、大歓迎ですけど、新しい雇用をつくるのは簡単ではないです。時間がかかるのではないか。そういう意味では、残念なことなんですけど、経済に対してちょっと悲観的にならざるを得ないです。  目の前で変化が起こり姶めた外交問題  同じように外交問題。北方領土問題だけではなくて、皆さんの目の前に変化が起こり始めたんです。中国はどんどん伸びているでしょう。中国は高度成長時代の日本と全く同じなんです。国内市場を適当に保護して、基本需要、冷蔵庫、自動車。どんどん伸びている。昨日の日経がいってたのと同じように、日本はあの 国と競争するのは無理です。賃金は日本の二十五分の一です。繊維産業のタオル問題があったとき、繊維産業の企業のギャップがテレビに出た。そのとき十七対一だと思ったんですけど、日経によると二十五対一です。中国人は日本人と同じぐらい勤勉でしょう。おカネも十分でしょう。外国人がどんどん投資している。あとは技術。日本の企業から、華僑から、自由に入っているでしょう。結果は工場の中の条件、ほとんど日本と同じです。賃金コストが日本の二十五分の一だったら、あの国とどうやって競争しますか。きょうはタオルとか、ネギとか、ユニクロ。あしたは自転車。あさっては自動車。アメリカはもちろん中国と喧嘩やりたいんです。自分の防衛産業の繁栄のためにやっていますけれども、日本はあの喧嘩に巻き込まれるべきかどうか、 ちょっと……。 一昨日、北京で外務省のスポークスマンが教科書問題で発言していました。これから中国と韓国は歩調を合わせて日本に対して適当に措置をとる。恐いですよ。韓国がそれに応じるかどうかということはあるけど、もともと韓国人は文化とかメンタリティは中国的です。日本的ではないです。あの二つの国が反日連盟、反 米連盟になれば、日本の外交は袋どまりになってしまう。  教科書問題、正直言って私も保守派です。あの戦争は非常に複雑なものだったんです。太平洋戦争、やっぱり日本は仕方がなかったんです。我々欧米人は長い間アジアでいろいろやっていて、どんどん日本に圧力をかけて、メンバー軍もやっていて、日本はある程度反発するのは仕方がなかったんです。確かに中国でちょっとやり過ぎだったんです。それはもうちょっと認めるべきです。ただ韓国とか、台湾を自分の植民地にしようと思ったとしても、それはある程度防衛的な部分があったんです。認めています。当時の白人、スピリアリティコンプレックスが強かったんです。実際、一九一九年ヴェルサイユ会議で日本は平等発言を求めたんです。民族はみんな平等である。それに一番反対したのはオーストラリア、私の国だったんです。当時日本人は白人に対して反感を持つのは当然です。それであの戦争に敗けたのは、ある程度悔しいです。  日本は戦術はうまいが戦略は弱い

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週刊時事

Shuukannjiji 1983.6.4Japanese are insensitive to accomplished facts. 「週刊時事」1983年6月4日 (なで斬り時評) ・「既成事実」 に鈍感な日本人―たまには日に当て再検討を   近ごろ、大阪空港の騒音問題が新開の紙面をにぎわしている。世論も裁判所も、被害者である空港周辺の住民にかなり好意的な理解を示しているように思われる。 さて、東京の都心に住んでいる私も、実は、飛行機の騒音公害の被害者である。東京のどまん中に飛行場などあったかな、とぶかしく思われる方もあろうが、ほかならぬヘリコプターである.これが朝な夕な、私の頭上を徘徊するのである。大型でしかも低空飛行で、ダダダダとやって来ると、心は乱れ仕事は手につかない. 外国だったら、、都心で毎日毎日こんなことが許されるはずがない。第一、市民がほうっておかないだろう.一人一人が声を上げてそぅいうことを許さない風土を作りあげてしまっている.他人に迷惑をかけている人がいれば黙って見すごすわけにはいかない.特に静けさというものを非常に大切に思っているということもある. 少なくとも大阪空港の場合は、どうしてもどこかに空港をつくらなければならないという事情があることはだれでも納得している。しかし、私の頭上のヘリコプターの場合は、どうしても飛ばなければならな理由は少しもない.ほんの一握りの人間の利益とか便利さ、あるいは単なる遊びのため飛ばせているのである。それなのにどうして大阪空港の場合は大騒ぎして世論も盛り上がり、住民の声が尊重されるような形で処理されようとしているのに、東京上空のへリ公害は、悠然とまかり通っているのだろうか.ここにも日本人のユニークさが表れている. 大阪空港の場合は、これが新しく発生した事態であるというところに重要な意味がありそうだ.日本人は新しく発生した事態には敏感に反応する。新空港が出来た。飛行機の離着陸で急にうるさくなった.というわけで、これは現状を破壊する。だから人々はすぐ反発を示したわけである。そしてみんなが団結して闘うことができた。 しかし、東京のヘリコプターの場合は、今始まったことではない.もう長く続いていて、みなさん慣れてしまっているのだ。もうすでに既成事実となって、人々の頭の中に組みこまれているのである。こういう種類のことがらに対しては日本人の反応は驚くほど鈍感である。 ここ数年、自転車の効用が見直されて、交通手段として重要な位置を占めるようになった。しかし、ここでは自転車が「遅れて来た」のである。自転車は一台が占める空間から見ても、排気ガス、騒音の点からしてもきれいなもので、人をひき殺すこともない。社会の中では、車よりもずっと歓迎きれるべきものであるにもかかわらず、人々から冷遇されている。この場合は車は既成事実、もうすでに社会の中での位置づけが確保されている。それは不問に付される.車が最使先されていることにだれも疑問を持たない。したがって自転車は、車道を走れば車にいつ飛ばされるかわからない。歩道を走れば、歩く人に白い自で見られる。駅に駐車すれぼ、大問題。ところが路上に、しかも幹線道路を堂々と片側車線をブロックして車を止めていても人々は知らん顔である。やる方もやられる方も〃こういうもんだ″という慣れから来る不感症である. このように、新しい事態が発生したり、顕在化した際の日本人の反応は敏感で、時にはヒステリックでさえある。しかし、それがほとんどなくして沈静化したあとは、逆にきれいにさっぱりと人々の意識からはずされてしまう。この両極瑞ともいえる現象の間にもう少しバランスがとられればいいのではないか。 「既成事実」を「既成事実」と葬り去らないで、時にはいま一度、掘り起こして、日に当てて再検討を加えてみることも必要ではないか。日本人のきめ細かな「気くばり」がそこに生かされれば、さらに住みよい社会になるはずである。 「週刊時事」1983.7.9 Unscientific logic of controling big supermarkets is the main reason for the failure of domestic demand. 大型スーパー規制の非科学的論理こそ内需不振の主原因だ  最近、外国人の友人が自転車を買いに行った。日本はよい工業製品を安く生産する、という評判を知っていた彼は、一万五千円も出せば、品質の良い自転車が買えると思っていたところ、実際には四万円近くもしたので、あまりの高さにびっくりしてしまったという。 しかし、その翌日、彼は、もっとぴっくりするような事にでくわした。他の店で、小さなモーターバイクがたったの四万四千円で売られているのを発見したのである.それらのバイクには、もちろんエンジンもライトも、また自転車にはついていない部品や装備まで施してある。なのにバイクと自転車の小売価格には大差はない.外国では、バイクの価格は自転車の四、五倍するのが常識だ。日本で生活している者にとっては、こうした価格状況は大して不思議なことではない。 自転車が高いのは、メーカー側がぐるになりメーカーおよび流通業者に高いマージンを確保するために、足並みをそろえているからであり、バイクが安いのは、マーケットシェアをめぐって、メーカー同士が激しい競争状態にあるからである。 この自転車とバイクの例は、日本の効率の悪い流通システムが日本の消費者にしわよせされている極端なケースかもしれない。しかし、同じような例は周りにゴロゴロしている。にもかかわらず依然として流通機構の非能率さが改善されないばかりでなく、むしろそれを保護しようとする動向さえある。これにはまったく理解に苦しむ。私のいっているのは、もちろん大型スーパー設立を規制しようとする動きのことである。 他のどの国でも、スーパーマーケットは、流通におけるコスト軽減に重要な役割を果たすとみなされている。スーパーは、少ないスタッフで大きな効果をあげる、いわばサービス産業界のロボットである。 製造業界においてロボットの高度利用を誇る日本は、皮肉なことに、サービス産業におけるいわばロボット(スーパーマーケット)の使用を拒絶している。これは日本経済に深刻な不均衡をもたらす原因ともなっており、さらにそれが転じて貿易摩擦の主たる原因にさえなっているのである。 日本で非常に効率よく生産された製品は日本ではよく売れず、海外で大変よく売れている。海外より輸入される品物は、日本のおかしな流通機構のため一層売れにくく、なかなか日本市場へ食い込めないのが現状だ。同様に日本のサービス産業の弱さは、日本における景気後退を深刻なまでに長びかせている、内需不振の主な要因になっている。 日本のある人々は、流通機構の非能率性は、失業を防ぐために、大きな役割を果たしているのだ、とむしろ擁護する立場をとっている。しかし、これは非常に非科学的な議論にすぎない。失業を防ぐために、車やバイクはすべて手作業で組み立てられるべきだと主張するのと同様だからである。 日本でスーパーが急にたくさんできるなら、流通機構が改善され、そのために一時的 に失業率も高まるであろう。しかし、一流通コストの軽減と中間マージンの引き下げは消費者と流通業者双方に新たな収入として働くであろう。新たな収入は新たな購買力を生むだろう。それが自動的に一時的に失業する者に対して新たな雇用を生むことになろう。国内の流通システムが合理化され、安いVTRを買うのにわざわぎ秋葉原まで出かけなければならなかったのが、近くのディスカウントショップで安く手に入るようになれば、自然に需要も伸びるというものだ。内需不振問題もきれいに解決する。 製造業の組織化にはこれほど進歩的な日本人が、流通部門やサービス産業の組織化に、 なぜこれほど保守的なのであろうか。われわれ外国人の場合は正反対である。ここにもまた一つ、ユニークな日本人と外国人との違いの例がみられる。 「週刊時事」1983.8.13Japanese political parties also should value principles a little more: the strange case

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